提訴に至った原告の想い

2014年9月

東日本大震災から37ヵ月が過ぎました。名取市閖上では約800人が犠牲となり、未だ40名が行方不明のままです。

2011311日の大地震の後、10メートルを超える大津波警報と避難を呼びかける防災無線が鳴っていれば、これほどの犠牲者は出なかったのではないでしょうか。

大震災から2年半後に設置された第三者委員会による検証では、被害を大きくした要因や背景として、名取市による地域防災計画の軽視と危機管理能力に対する過剰な自信なども、閖上の多くの被害をもたらしたと明らかになりましたが、まだ解明されていないことや不明な点がたくさんあります。

 

あの日、大津波を知らせる防災無線が鳴っていれば、それを聞いた多くの人たちはすぐに避難したはずです。でもあの日、命を守るための防災無線は鳴らず、名取市閖上では約800人が犠牲となりました。せめて名取市地域防災計画の通り、広報車、サイレン、ヘリコプター等による住民への避難指示を適切に出していれば、多数の尊い命を救うことができたのではないでしょうか。

 

私たちの 大切な家族、友人、知人たちはごくごく普通の幸せな人生を今後も生きていくはずでした。そんな平凡で幸せな生活を失くし、言葉にならないくらい悲しく悔しい気持ちでいっぱいのはずです。このままあの日の真実がわからない、教訓が生かされないのでしたら、私たち家族の死は無駄になってしまいます。犠牲になった命が無駄にならぬよう、第三者委員会、名取市市議会(特別委員会)できちんと全ての真相を究明し、今後の防災に生かしてほしいと期待していましたが、それは叶いませんでした。

私たちは800人もの命をこのまま無駄にしたくない。真実を追求しそれを後世にいかし、次にどんな災害がきても二度とこの様な多くの犠牲を出さないようにしたい、何百、何千もの命が救えるようにしたいと願い、2014年9月5日、提訴に踏み切りました。