家族のために

名取市閖上津波訴訟

2011.3.11 宮城県名取市閖上では大津波により

約800人が犠牲になりました。

どうしてあの日私たちの大切な家族は犠牲になったのか

どうして800人もの命が犠牲にならなければいけなかったのか 

私たちは法廷でその真相を明らかにする道を選びました

提訴してから約5年半、私達は悩み抜いた末に、勝訴・敗訴という結果ではなく、名取市に、これからの災害時には命を守る行動をするということを約束してもらうことのできる和解を選択いたしました。

2020年3月12日

和解成立



和解声明(原告一同)

本日、約5年半にわたる裁判が終了いたしました。

まずはじめに、今日までご支援くださり支えてくださった皆様と、私達の気持ちを受け止め共に戦ってくれた先生方に、心よりお礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

 

私達は、「どうしてあの日私たちの大切な家族は犠牲になったのか、どうして800人もの命が犠牲にならなければいけなかったのか」その真相を明らかにするために提訴いたしました。

 

一審中の証人尋問で、当時の名取市長などから直接話しを聞けたことや、第三者検証委員会の報告書の元資料が廃棄されていたことがわかるなどの成果もありましたが、私達の家族がどうして犠牲にならなければいけなかったのかはわかりませんでした。

 

ですので、提訴したもう一つの理由である「何をしても戻ることのない喪われた命を、せめて教訓にして、これから必ず起こるであろう災害時に一人の犠牲者も出さないようにし、後世に繋がる命を守りたい」ということだけでも叶えることができる可能性だけは残したい、と思いました。

 

そして私達は悩み抜いた末に、勝訴・敗訴という結果ではなく、名取市に、これからの災害時には命を守る行動をするということを約束してもらうことのできる和解を選択いたしました。

 

しかし、責任を認めて謝罪してもらうことを諦め、その代わりに 遺憾の意を表する ということで、この5年半の私達の気持ちに決着をつけることができるのだろうか・・・

また、例えば和解条項3に、「名取市防災会議を定期に及び必要時に開催した上、地域防災計画の整備・充実とその周知徹底、職員の防災意識の向上、避難訓練の実施その他の防災施策を講ずる」とありますが、このような行政として当たり前のことをさせるために、私達はわざわざ裁判をし、5年半もかけたのだろうか・・・

そう思うと、この和解案を受け入れることは、苦渋の決断でした。

 

和解協議中、裁判所からは、この各和解条項は前文と対応関係にあるので、和解条項のみに目を向けるのでなく、前文と併せて条項の内容を理解してほしいと言われました。

 

その前文には、

 

「防災行政無線が機能し、1人でも多くの尊い命が救済できていればとの思いを禁じ得ず、本訴の提起に至った控訴人らの心情は理解できる」 

 

「法的責任の観点もさることながら、より実効性の高い防災対策の観点から、被控訴人において、東日本大震災の経験と検証報告書の指摘を踏まえ、今後の自然災害に対し万全の備えをすることは重要である」

 

「被控訴人が、検証報告書の内容を真摯に受け止め、その反省と東日本大震災の教訓を活かして、今後の自然災害に対し万全の備えをすることが、地方公共団体としての責務である」

 

などと書かれています。

 

この裁判所の所感が、私達の5年半の思いをぎりぎりの線で汲んでくれていると感じました。もちろん、一審の判決内容を覆しているとまでは言えませんが、少なくとも一審判決に同調していない高等裁判所の所感だと思えました。

 

 

また、和解内容としては

 

①名取市が公助の責任を自覚すること

②東日本大震災の犠牲者が無駄となることがないように、今後の防災対策を行うこと

③今回の件を風化させないこと

 

この3つを柱とし、本訴訟が提訴されなければ達成できなかったであろう内容になるように意識をしたとのことでした。

 

「本訴訟が提訴されなければ達成できなかったであろう内容」とういう点については、このようなことくらい、名取市は通常業務としてできないことなのだろうか、と思いました。

しかし、こうでもしない限り動かない名取市だから、この裁判は5年半もかかり、その間も納得できるような真摯な対応はなかったのだろう。そのような行政だと思うと、和解という形でしっかり約束をしなければ、今後も公助の責任を自覚し防災対策を行うことを怠るかもしれないと思いました。

 

名取市が責任を認め謝罪をするということが叶わなくても、後世の命を守り、繋げていく行動をしてもらうことで、私達のこの5年半が無駄ではなかったということにつながるのではないかと思いました。

 

5年半もかかった裁判で、最後はたった一ヶ月で和解を受け入れるかどうか決めなければいけなくなり、和解勧告直後は気持ちが追いつかず、なかなか考えを整理することもできず、戸惑うばかりでした。

しかし、計6回の和解協議中、先生方との話し合いを重ね、気持ちや考えを整理し、最終的には和解を受け入れるという決断に踏み切りました。

 

どうか、このような考え、想いで、私達が和解を受け入れたことにご理解をいただき、名取市が真摯に約束を果たそうとしているか、今後も私達とともに見守っていただければと思います。

 

特に和解条項3から5に関しては、しっかりと名取市の行動を見ていかなければいけません。今まで応援してくださった方々やマスコミの方々にも、名取市の行動に注目し続けていただけたらと思います。

 

 

本日まで長い長い5年半だったと感じるとともに、大切な家族と会えなくなってからは9年が過ぎたことを思うと、長かったのか短かったのか正直よくわかりません。

 

ただ、喪った命は何をしても戻らないという現実を身にしみて感じています。

 

私達はこれからも、大切な家族をなくしたという過去を背負いながら、一日一日を歩んで行きます。

 

どうか名取市も、約800人の犠牲者ひとりひとりにそれぞれの人生があったはずだということを忘れず、閖上地区で多数の犠牲者を出した事実を背負い続けてほしいと思います。

また、私達の家族の命はこのような教訓になるために生まれた命ではないけれど、せめて喪った命を無駄にしないためにも、真剣に安全な街づくりをしていくことで、犠牲者や遺族に対しての真摯な思いを表していただきたいと思います。

 

 

私達は、和解を受け入れたからには、今後の名取市の行動を信じ、見守っていきたいと思います。

 

どうかこの思いが裏切られることのないよう、心より願っております。

 

 

最後にあらためて、本日まであたたかく見守ってくださった皆様に、心より感謝申し上げます。

5年半もの長い間、ご支援ありがとうございました。

 

 



署名のご協力ありがとうございました

一審判決後よりご協力いただきました署名、累計1308筆を、2020年3月4日、裁判所に提出いたしました。ご協力いただき心より感謝申し上げます。