原告 控訴声明

49日、私達は今回の判決を不服として、控訴いたしました。

 

判決の時、棄却 という言葉を聞いても、判決の内容には、今後の命を守るための言葉があるのではないかと耳を傾けていました。

今後の防災のために、行政はこの災害と、犠牲者と、遺族と、真剣に向き合わなければいけないということが、少しでも裁判長の口から出ることを願いました。

しかし、裁判長の口からそのような言葉が出ることはなく、名取市の主張を全面的に、もしくはそれ以上に認め、第三者検証委員会による検証報告書よりも内容の薄い、信じがたい判決内容となりました。

私達がこの3年半訴え続けてきた、今後の命を守るための全容解明への思いに、裁判官たちは心から耳を傾けてくれていたのだろうか。司法の限界という言葉をよく聞くけれども、限界ではなく、単に行政の味方ではないか。裁判長は、今後の自身の出世のために、よくある行政よりの判決、内容、にしたのではないかと、そのような疑いを持つほどの判決内容でした。

こんなにもあからさまに、行政の味方をする裁判官たちに、私達は絶望感しかありませんでした。

 

判決を聞いた直後は、もうこれ以上司法に頼っても何も変わらないだろう、裁判官に対しても名取市に対しても、こんなにも絶望感を感じる裁判を続けるのは、もう耐えられない、この判決をもって、終わりにしようと思いました。私たちと、少しも真摯に向き合うことのなかった、名取市と裁判官に対する気持ちは、怒りよりも、絶望と悲しみとなり、心が締め付けられました。

それでも生きている私達の悲しみや絶望感よりも、あの日何が何だかわからないまま、汚い苦しい思いをし、突然命を奪われ、未来を奪われた家族たちの方が辛いはずだと、判決後は、控訴の方向で話し合ってきました。しかし原告の一人からは、精神的金銭的、世間体、普通の生活をする上での時間的なものなど、様々なことがもう限界にきている、あきらめて、静かに過ごしたい、という訴えもあり、これで終わらせる原告と、控訴する原告と、二つの道を行こうかという話も出ました。

今後についての思いは原告一人一人違いましたが、やはりこのような内容の薄い判決を後世に残してはいけないと、今後の防災、命に関わる大事な判決が、これではいけないという、共通の思いもありました。

そして一人でもあきらめたら、名取市には、名取市に絶望して諦めたのではなく、あの判決を納得したと思われるだけだろうと、裁判官たちには、自分たちの判決が正しかったと思わせるだけで、私達のこの絶望感が伝わることはないだろうと、それなら全員で歯を食いしばり、この判決は到底承服できないということを、伝えなければいけないと全員が思うようになりました。

 

今も共に歩んでいたはずの家族、笑い、泣き、悩み、進み、ただただ普通の生活を過ごしていたはずの家族。当たり前に生きていたはずの家族。その家族の命が戻るのであれば何でもする。でも何をしても戻らない命に、あの日命を失ったことに、無理やりでも意味を持たせてあげるためには、次の大災害で一人の犠牲者も出さないための教訓につなげることしかない。

その思いで、原告全員で控訴いたしました。

 

どうか、葛藤や悩みの中で控訴を決めたことにご理解いただき、今後とも見守って頂ければと思います。

 

 

判決内容に関して私達が納得できない部分については、一部ですが、以下の通りです。

 

まず、名取市がやるべき 公助 をやらなかったことを棚に上げ、自助 について異常に必要性を訴える行政の言い分を、裁判所がそのまま認めたことに異議があります。自助・共助・公助は災害時の基本であり、被害を最小限におさえる役割があるはずです。公助を担う名取市(市長)の対応は、防災計画にも明示されていますが、元市長はテレビも見ずに役所内を回っていたとの証言だったはずです。

しかし判決内容では、住民はカーラジオなどから被災状況、津波警報を得ることができるのだからとしながら、名取市や市長が何もしていなかったことは許されているというような判決内容です。

また、私達の家族が避難してたはずの公民館では、避難してきた住民の一部が、地震の揺れが少し収まったので外に出てしまったり、帰宅していた人がいたということで、私達の家族も、防災無線が鳴り公民館に避難したとしても、助かっていたかはわからないとの内容にも、大きな矛盾を感じます。防災無線から、命に係わる放送が聞こえていたら、そのような行動をする人は大幅に減っていたはずです。鳴っていなかったから、自分たちの明日からの生活を心配し、公民館を出てしまった人が多かったのです。なのに、防災無線が鳴っていたとしても同じような犠牲者が出たことを前提にした内容には、裁判官たちは本当にこちらが提出した証拠を真剣に読んだのかと思うほどです。

このように判決内容には憤りを感じる部分が多くあり、書ききることはできません。

地域防災計画に防災行政無線を反映せずに、防災計画をおざなりにしたことが原因でおきた人災、公助不備の人災といえるはずなのに、震災時、何もしなかった元市長と名取市の公助不備を、なぜ裁判所は守ろうとしているのでしょうか。

 

この判決内容を覆すよう、弁護団と支援の会の皆様とともに進んでいく所存です。

 

平成30年4月9日 原告一同