判決を受けて

裁判長から、棄却という言葉を聞いても、判決の内容には、今後の命を守るための言葉があるのではないかと耳を傾けていました。

今後の防災のために、行政は真剣にこの災害と、犠牲者と、遺族と向き合わなければいけないということが、少しでも裁判長の口から出ることを願いました。

しかし、裁判長の口からそのような言葉が出ることはなく、名取市の主張を全面的に、もしくはそれ以上に認める内容であり、第三者検証委員会による報告書よりも、内容の薄い判決となりました。

 

この3年半訴え続けてきた、私達の今後の命を守るための全容解明への思いに、裁判官たちは心から耳を傾けてくれていたのだろうか。司法の限界ということをよく聞くけれども、限界ではなく、単に行政の味方。裁判長は、今後の自身の出世のために、よくある行政よりの判決、内容としたのではないかと、疑いを持つほどの判決内容です。

こんなにもあからさまに行政の味方をする裁判官たちには、絶望感しかありません。

 

私達は、もうこれ以上司法に頼っても何も変わらないだろう、裁判官に対しても名取市に対しても、ただただ絶望感を感じるためだけに裁判を続けるのはもう耐えがたいと、この判決をもって終わりにしようとも思いました。少しも真摯に向き合ってもらえなかった、名取市と裁判官に対する気持ちは、怒りよりも、絶望と悲しみとなり、心が締め付けられました。

 

しかし、判決内容を読めば読むほど、理解しがたいことばかりが書いてあり、中には文章として成り立ってないのではないか、ここは無理やり書いているのではないだろうか、この部分は名取市の責任を否定するためだけの文章ではないか、等々、到底承服できない内容に、この判決文は後世に残していいものだろうかとも思うようになりました。

 

生きている私達の苦しみや悲しみや絶望感よりも、あの日何が何だかわからないまま、汚い苦しい思いをし、突然命を奪われ未来を奪われた家族たちの方が辛いはず。その家族のために私たちができることは、何をしても生き返ることのない命をせめてもの教訓にし、後世の命を守ること。

 

私達は控訴を視野にいれ、検討中です。