意見陳述(2016/3/28)

第9回口頭弁論での原告の意見陳述です

私たちは去年の2月ころから、真実を知るための手段として、第三者検証委員会報告書の元資料を提出してほしいと、一般社団法人減災復興支援機構に連絡していましたが、今回、その後の5月ごろに機構の理事長一人の判断で元資料が廃棄されていたことがわかり、大変衝撃を受け、強い怒りを感じています。

報告書には「災害時の状況や対応を記録として残し保存しておく必要があると痛切に感じた」と記載しておきながら、またこの機構の理事長は様々な地域で防災・減災についての講演等も行っていながら、名取市閖上の東日本大震災についての、後世に残すべき資料を廃棄したということに、今後の防災・減災についても大きな絶望感を感じました。

また元資料の保管についてのことを、しっかり決めていなかった名取市にも大きな責任があると思っています。このことでさらに不信感を募らせた私たちは、元資料には公表したくない何かが記されていたのではないかとも思っています。

この検証報告書には、「まだまだ未解明なことがたくさんある」と書かれています。その未解明なことも含め、様々な なぜ を究明しようと、名取市に対して質疑応答や検証報告書についての説明を望んできましたが、全く応じてもらえませんでした。そのため悩んだ末にやむなく提訴にいたりましたが、提訴後に名取市長は「真摯に対応する」とのコメントを出しましたので、これからは私たちと誠実に向き合ってくれるものだと期待しました。しかし、裁判が始まってもなかなかこちらの想いに答えてくれない名取市の姿勢や、減災復興支援機構からの元資料の廃棄という回答に、私たちはさらに失望しました。

名取市が震災当日市民の命を守るためにどのように動いたのかを聞いても、名取市の命令で動いていたわけではない地元消防団の動きに話をすり替えたり、消防団の都合で名前だけ消防団に登録していた父のことを防災のプロだろうと言ってきたり、名取市の防災無線は故障していたが仙台市の無線は聞こえていたはずだなど、責任をすべて何かに押し付けようとするばかりで、結局名取市の行動についてはきちんと答えてはくれません。

検証報告書によると、そもそも「防災マニュアルも情報伝達に関してはまったく参考にならない代物だった」こと、そしてそのマニュアル通りの避難誘導すらしていなかったことも明らかになっています。マニュアル通り行動しなかったことについては、様々な理由をつけて市長と当時の総務課長の「両者とも何とか地域防災計画で住民に示した初動対応計画どおりにやろうという考えにならなかったようである」と記載されていますが、では、初動対応計画通り動かず何をしていたのか、その部分をなんど聞いても答えてくれないということは、もしかして、名取市は何もしていなかったのではないでしょうか。名取市は市民の命を守るためのことをなにも考えず、なにもせず、ただただテレビに映る惨状を眺めていたということなのかと思えてきます。

また、鳴っていると思っていたとはいえ、防災無線での呼びかけの仕方も疑問です。家族などの安否を確認するために、内陸部から沿岸部に行こうとする人がいることは誰でも予想がつくことなのに、防災無線は名取市全域ではなく閖上地区と下増田地区にしか放送しませんでした。また10メートルの津波が襲来したことをテレビで確認したという理由で、その時点で名取市は放送をやめたとのことですが、10メートルの津波が来たからこそ、その後も沿岸部には近づかないように、さらに逃げるように放送すべきだと防災の素人の私でもわかります。

私たちの家族は、地震直後には生きていました。余震が続く中、両親は、私たちの息子や寝たきりの祖母に怪我をさせないように必死で守っていたと思います。そのような中で6メートルの大津波警報が出ていることを知らせる防災無線が鳴り、避難広報がされていれば、両親は、息子と祖母とすぐに避難したはずです。特に母は、昭和35年のチリ沖地震による津波で父親を亡くしており、津波の恐ろしさは身を持って知っています。ですから平成22年のチリ中部沿岸地震の時に大津波警報が出たときも、今回の大震災の2日前の地震で津波注意報が出た時も避難しているのです。そのことを知っている私たちや親戚はみんな、両親たちが大津波警報が出ていることを知ることができたら、必ず逃げていたと確信しています。

この震災は、未曽有だった、想定外だったと言われますが、また名取市長は予想津波高6メートルと聞いても「どのような被害状況になるか具体的なイメージをすることができなかった」とのことですが、6メートルの高さがどれだけの高さなのかは子供でもわかります。被害状況のイメージができなくても、6メートルの波が来れば命が助からないことくらいは想像がつくはずです。ですから両親が6メートルの津波がくることを知ることができれば、幼い息子と寝たきりの祖母を守るために、すぐに避難したはずです。そう思うと、命綱であった防災無線が鳴らなかったことやその防災無線が正常に機能しているか確認をしてくれなかったことがとても悔しく、せめて防災マニュアル通りの避難広報をしてほしかったと、残念で仕方ありません。

提訴から1年半、口頭弁論は今日で9回目となりましたが、なにひとつ真実はわからないままです。6回目の口頭弁論の時に、私たちの代理人からの「原告と真摯に向き合うつもりがあるか」という問いに、名取市側の代理人から「答える必要はない」と返答され、とても悲しく心が折れそうになりました。

名取市は今後も、私たちがさらに失望しあきらめるまで、真摯に向き合うことはしないつもりでしょうか。

でも私たちは絶対にあきらめません。名取市の誠意のない対応にどんなに失望しても、減災をうたっている機構が減災と程遠い行動をしていることにどんなに絶望を感じても、どうして私たちの家族が犠牲にならなければいけなかったのかどうして800人もの犠牲者が出たのか、その理由、真実がわかるまであきらめません。

何をしても何を知ろうとも、命が戻ってくるわけではありませんし、教訓になるために産まれた命では決してありませんが、せめて、せめてその死を教訓位にはしてあげたい、その一心で、真実がわかるまであきらめるつもりはありません。

名取市には、今度こそ私たちや犠牲者や遺族と真摯に向き合い、あの日どうして800人もの犠牲者が出なければいけなかったのかその真相究明のために、今後の防災・減災のために、包み隠さず話していただけるよう、心からお願いしたいと思います。