原告の訴え

原告側の意見陳述

東日本大震災から3年8ヵ月が過ぎようとしています。名取市閖上では約800人が犠牲となり、未だ40名が行方不明のままです。
2011年3月11日の大地震の後、10メートルを超える大津波警報と避難を呼びかける防災行政無線が鳴っていれば、これほどの犠牲者は出なかったのではないでしょうか。
大震災から2年半後に設置された第三者委員会による検証では、被害を大きくした要因や背景として、名取市による地域防災計画の軽視と危機管理能力に対する過剰な自信などが挙げられていますが、まだ解明されていないことや不明な点がたくさんあります。

私はあの日、仙台市内にある職場で大地震に襲われました。息子と両親の安否を確かめるため、実家にいる母に何度も電話やメールをしましたが、どちらも通じませんでした。
心配していたところ、母から「こちらは大丈夫」とのメールが一通だけ届きました。実家の被害状況はわかりませんでしたが、息子と母の安否が確認できたので、安心しました。母は、2010年のチリ地震の時には防災行政無線を聞いて指定避難所である公民館に避難したと言っていましたし、避難訓練の時も防災行政無線を聞いて公民館に行っていましたので、きっと公民館に避難しただろう、常日頃、私は両親に、息子になにかあったら絶対許さないからと、強く言っていましたので、この日も避難所へ避難したと信じていました。
しかし、命の危険を知らせるはずの防災行政無線は鳴らず、私たちの最愛の息子と両親、祖母は大津波に飲み込まれ犠牲になりました。
名取市は、防災行政無線だけではなく、せめて地域防災計画の通り、広報車やサイレン、ヘリコプター等による住民への避難指示を適切に出していれば、私たちの大切な家族、そして多数の尊い命を救うことができたはずです。

私たちの息子は、8ヶ月しか生きられませんでした。これからたくさんの素晴らしい出会いや楽しく、明るい人生が待っていたはずです。両親は、孫と共にゆっくりと過ごす第二の人生を楽しみにしており、もう少しでそれが叶うはずでした。
私たちは、かわいい息子の成長を支えに、ごくごく普通の、ささやかではありますが、幸せな人生を家族みんなで歩んでいくはずでした。それを突然奪われ、言葉にならないほどの、悲しく悔しい気持ちでいっぱいです。

このまま、あの日の真実が分からず、そうした真実をもとにした教訓がいかされないのでしたら、私たち家族の死は無駄になってしまいます。
なぜこんなにも多くの犠牲者が出てしまったのか、その原因と真相を究明することで、これから起こるかも知れない震災で何百、何千もの命が救えるようにしたい、そうした思いから、やむなく、提訴を決意いたしました。
第三者委員会や名取市市議会できちんと真相を究明していただけていれば、このような提訴は必要なかったはずです。

裁判所には、なぜ名取市の閖上地区だけ、こんなにたくさんの人たちが犠牲にならざるを得なかったのか、その原因と真相を究明していただき、名取市の責任をきちんと追及していただきたいと思います。そして、名取市にはその責任を認めて、私たちに謝罪をしてほしいと思っています。